本書は、キャロル・フーベン博士の著書『T: The Story of Testosterone, the Hormone that Dominates and Divides Us』の全訳であり、ホルモンの1つであるテストステロンが、私たちの生物学的な性差や、ジェンダー問題にいかに深く関わっているのかを、科学的かつ客観的な視点から論じています。
テストステロンは、「男性ホルモン」と呼ばれるアンドロゲンの一種です。アンドロゲンには、テストステロンの他にデヒドロエピアンドロステロン (DHEA) やジヒドロテストステロン (DHT) などがあり、これらは私たちの体のさまざまな細胞に存在するアンドロゲン受容体に結合することで作用を発揮します。この結合によって引き起こされる作用は、大きく二つに分けられます。一つは、体毛・外生殖器の発達、性欲の亢進といった男性化作用です。もう一つは、筋肉量の増加、赤血球の増加、骨代謝の促進といった同化作用であり、これらはヒトの成長と発達において極めて本質的な役割を果たします。
しかし、アンドロゲンの作用の強さは、ホルモンの分泌量が多ければ単純に増強されるというような、簡単なものではありません。私たち一人ひとりの間でテストステロンの作用に違いをもたらし、個性や多様性を生み出すのは、ホルモンの分泌量ではなく、むしろその情報を受け取る側の複雑なメカニズムです。
そのメカニズムの一つが、アンドロゲン受容体の遺伝子変異です。この遺伝子に変異があると、ホルモンが分泌されても、その情報が細胞に正しく伝わらず、結果としてアンドロゲンの効果が減弱します。この変異には、受容体として全く機能しなくなるものから、ある程度機能を保つものま で、多様なパターンが存在します。
さらに、アンドロゲン受容体の機能を左右する重要な要素として、遺伝子内に存在するCAGリピートという繰り返し配列があります。このCAGリピートの数が個人によって異なるため、アンドロゲンに対する感受性、すなわち身体の反応のしやすさが変化します。リピートの数が少ないほど感受性が高く、多いほど感受性が低い傾向が見られます。また、遺伝子の特定の位置に見られる一塩基多型も、アンドロゲン受容体の機能を微細に調節する要因の一つです。
このように、アンドロゲンの作用は、分泌量だけでなく、遺伝的多様性という複雑な要 因によって影響を受けます。この受容体機能の多様性は、テストステロンの作用が個人差を生むメカニズムの一つであり、「性」が男性か女性かという二極構造ではないことを示唆しています。本書は、この科学的基礎に基づき、進化生物学や発生学など幅広い分野の知見を統合することで、テストステロンが人間をいかに形作り、社会的な側面にまで影響を与えているのかを深く掘り下げています。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 坪井 貴司 / 2025)
本の目次
2章 内分泌とは
3章 テストステロンをひとさじ
4章 頭の中のテストステロン
5章 優位性
6章 角と攻撃性
7章 暴力的な男たち
8章 性行動
9章 性転換とテストステロン
10章 さあ、テストステロンの話をしよう
関連情報
Carole Hooven『T: The Story of Testosterone, the Hormone That Dominates and Divides Us』 (Henry Holt & Co 2021年刊)
https://www.amazon.co.jp/Story-Hormone-Dominates-Divides-Drives/dp/1250236061
書評:
ヒトの性分化についての面白い本。でも少し手強いかも──『テストステロン: ヒトを分け、支配する物質』 (シロクマの屑籠 2025年2月16日)
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20250216/1739689200
伊古田俊夫 評「男性ホルモンから性差探る」(北海道新聞 2024年9月15日)
吉川浩満 評「私の読書日記|日常美学、ネット炎上、テストステロン」(週刊文春|文藝春秋、2024年7月25日号)
本よみうり堂: 為末大 評「テストステロン ヒトを分け、支配する物質」 (『読売新聞』 2024年7月19日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20240716-OYT8T50087/

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