蔦屋重三郎 (略して蔦重という) は18世紀後半の江戸で出版業を営んでいた人物です。黄表紙や洒落本といった戯作、吉原細見、往来物、浮世絵など、手がけたジャンルは多岐にわたります。出版した黄表紙が大流行したこともあれば、寛政の改革時の出版統制で処罰されたこともあるなど、山あり谷ありの人生を送り、1797年に数え年48歳で没しました。
本書は、蔦重のほか、蔦重と関わりの深い人物の活動に焦点をあてて、それぞれの活動を解説したものです。主要な出来事や作品については詳しく紹介し、通読すれば当時の江戸の娯楽文化のありようが具体的にわかるようにしました。取り上げた人物は、大田南畝 (四方赤良)、朱楽菅江、石川雅望 (宿屋飯盛)、恋川春町、朋誠堂喜三二、山東京伝 (北尾政演)、曲亭馬琴、十返舎一九、北尾重政、葛飾北斎 (勝川春朗)、喜多川歌麿です。
かれらは蔦重と関わるだけでなく、それぞれが横のつながりも持っていました。その一端を紹介してみましょう。たとえば恋川春町は武士としての務めのかたわら、黄表紙を執筆し、大田南畝らとともに狂歌の遊びに加わっていました。南畝と朱楽菅江が編集した狂歌集『万載狂歌集』(須原屋伊八版) には春町の狂歌が収録されていますが、春町はこの『万載狂歌集』ができるまでのいきさつを黄表紙『万載集著微来歴』(蔦重版) におもしろおかしく書いています。春町はまた、朋誠堂喜三二とも親しく交流し、喜三二の黄表紙の挿絵をしばしば担当したほか、自作の黄表紙『吉原大通会』(岩戸屋源八版) に喜三二をモデルとする人物を登場させています。
北尾重政と山東京伝 (北尾政演) は師弟関係にありますので、こちらは縦のつながりと言うべきかもしれません。山東京伝は浮世絵と戯作の両方で活躍しましたが、1791年に蔦重が出版した京伝の洒落本は幕府に咎められて絶版となり、京伝も手鎖の刑に処せられました。その前年に、京伝のもとを訪れて入門を乞うたのが曲亭馬琴です。京伝は弟子入りを断ったものの、馬琴を友人として遇しました。馬琴は一時期、京伝の家に居候して仕事を手伝ったり、京伝の紹介で蔦重の店に奉公したりしました。
蔦重とかれらの事績をたどると、個々の作品の背景にどのような人間関係があったかがわかるだけでなく、もともとは趣味の活動であった狂歌や戯作の執筆が次第に商業出版に組み込まれていったことも見えてきます。蔦重は売れ行きの見込める作品を企画したり、作者に原稿料を前渡しして執筆を依頼したりしていました。戯作を書くことが職業として成り立つのは19世紀に入ってからのことですが、蔦重の時代に既にその萌芽があるといってよいでしょう。
洒落に満ちた江戸の戯作や、美しい絵本や浮世絵がどのように作られ、出版されていたか、本書を通じて理解を深めていただければと思います。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 佐藤 至子 / 2025)
本の目次
凡例
版元
蔦屋重三郎
狂歌人
大田南畝(四方赤良)
朱楽菅江
石川雅望(宿屋飯盛)
戯作者
恋川春町
朋誠堂喜三二
山東京伝(北尾政演)
曲亭馬琴
十返舎一九
浮世絵師
北尾重政
葛飾北斎(勝川春朗)
喜多川歌麿
おわりに――戯作の時代/東洲斎写楽
注
関連情報
佐藤至子教授インタビュー 蔦屋重三郎とその時代 戯作を「読み解く」面白さ (『東大新聞』オンライン 2025年6月28日)
https://www.todaishimbun.org/berabougesaku_20250628/
書籍紹介:
読書MAP「蔦屋重三郎と江戸文化」公開中! (KADOKAWA文芸WEBマガジン『カドブン』)
https://kadobun.jp/special/gakugei/tsutajumap.html
講演:
講演会「北斎と江戸文学―蔦屋重三郎の出版物を中心に」開催のお知らせ (すみだ北斎美術館 2025年4月12日)
https://hokusai-museum.jp/modules/Event/events/view/3964
展示:
附属図書館特別展示「華ひらく書物文化:俳諧・戯作の世界」 (東京大学付属図書館 2024年10月1日~11月27日)
https://jpsearch.go.jp/gallery/utokyo-edo2024

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