東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

真っ白の表紙

書籍名

たまたま、この世界に生まれて ミラン・クンデラと運命

著者名

須藤 輝彦

判型など

388ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2024年3月

ISBN コード

978-4-7949-7416-7

出版社

晶文社

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たまたま、この世界に生まれて

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運命という言葉を聞いて、みなさんはどのようなことを思い浮かべるだろうか?
 
運命は変えられない、運命とは自分の力で切り開くものだ、そもそも運命なんてものはない、などなど。パッと思いついた例を見るだけでも、この観念がいかに柔軟で、矛盾をはらんでいるものなのかわかる。どこかオカルト的な、あるいは少しスピリチュアルな響きを聴きとる人もいるかもしれない。最近だと遺伝や見た目の問題、親ガチャといった流行語もその問題系に含まれる。
 
ミラン・クンデラ (1929-2023) という作家が残した作品は、運命が持つこのような魅力と広がりを、見事に体現している──というのが、本書が取るスタンスだ。どういうことか、ひとつ例を挙げよう。クンデラ初の長篇小説『冗談』の最終盤には、「人の運命はしばしば死のはるか手前で終わる。終わりの瞬間は死の瞬間と一致しない」という文章がある。かなりおかしな宣言だと思いませんか? あるひとりの人間の運命という場合、それはふつうその人間の一生、つまり生誕から死に至る過程全体を指すはずだ。しかしクンデラは、この一般的な運命観に反する考えを小説の主人公に吹き込んでいる。もしそれまでの人生を支配していたはずの運命が死に先駆けて終わってしまうのだとしたら、運命の終わりから死までの道のりにはいったいなにが残るのだろう? 人は運命のない真空状態を、どのように生きるのだろうか?

本書はたとえばこの問いに、「歴史の終わり」という観点から迫る。ヘーゲルやコジェーヴの議論に基づき、1989年にフランシス・フクヤマによって提起されたこの有名な仮説は、第一に「人間的な政府の最終形態としての西洋型リベラル・デモクラシーの普遍化」を意味した。イデオロギー闘争を動力源に進んできた「歴史」は、共産主義にたいする自由民主主義の勝利をもっていまやその歩みを止めた、というわけだ。アメリカがまさに没落の最中にある現状を見ればきわめて楽観的な観察だったと言うほかないが、いずれにせよ1967年に刊行された『冗談』は、フクヤマにかなり先駆けて、しかも彼よりずっと切実なかたちで、「歴史の終わり」を描いていた。学生時代に社会主義運動に身を投じ、さまざまな挫折を経験した登場人物たちはみな、クンデラによれば「共産主義の崩壊」を経験している。小説終盤に現れる「だがもし〈歴史〉が冗談を言っているのだとしたら?」という主人公の問いかけは、歴史を導き人類を搾取から解放するはずの自分が、皮肉にも歴史に、そして彼自身の物語としての運命に翻弄されているという認識から生まれる。「運命の終わり」は「歴史の終わり」のいわばミニチュアであり、ふたつの「終わり」はここで二重露光の写真のように重なっているのだ。

このように、クンデラが描いた運命というプリズムには、社会主義の挑戦と失敗にくわえて、愛や死といった個人的で普遍的な問題はもちろん、クンデラの故郷であるチェコと中央ヨーロッパが抱える歴史的困難、さらにそのなかで作家自身が追求した文学と自由のあり方が、凝縮されている。そこには、広くヨーロッパの知的伝統を通じて継承・発展された、簡単には底の割れない柔らかさと深みが、いずれも表現されている。
 
本書はクンデラ作品における運命のあり方を、歴史、メランコリー、アイロニー、ナショナリズム、ロマン主義、悲劇、世界文学、偶然性、反出生主義といった幅広い主題と結びつけながら、人間的な認識の有限性に根差し、偶然と必然のあいだの緊張関係を映しだすものとして論じた。運命についての考えを深めたい人、チェコやヨーロッパの文化、また文学と思想の関係に関心がある人にとって、何かしら刺激を与えることのできる本になっていると思う。
 

(紹介文執筆者: 須藤 輝彦 / 2025年8月25日)

本の目次

序  論 運命の星座
第1章 歴史の終わり、運命の終わり──『冗談』におけるメランコリー
第2章 成熟と小説──『生は彼方に』における自己批判
第3章 運命の皮肉、歴史の怪物──『ジャックとその主人』におけるアイロニー
第4章 世界と亡命──『笑いと忘却の書』における語りの視差(パララックス)
第5章 運命の様相──『存在の耐えられない軽さ』における偶然性
第6章 身振りと根拠(グルント)──『不滅』における悲劇の散文化
第7章 「軽さ」を祝う──『無意味の祝祭』における反出生主義との対峙
結論 スターリンと天使
あとがき

関連情報

受賞:
第4回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2023年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
関連記事:
長瀬海・荒木駿・須藤輝彦「海外文学・研究書特集/鼎談=「この世界の想像力」」 (『週刊読書人』 2025年2月7日)
https://dokushojin.net/news/868/
 
【本の名詞】須藤輝彦『たまたま、この世界に生まれて』 (『群像』 2024年6月号)
https://gunzou.kodansha.co.jp/indexes/2116
 
須藤輝彦「あいまいなチェコの小説家──ミラン・クンデラのコンテクスト」 (『ゲンロン16』 2024年4月10日)
https://webgenron.com/articles/article20240112_01

書評:
ローベル柊子 評「須藤輝彦『たまたま、この世界に生まれて』」 (『スラヴ学論集』28巻、p. 125-129 2025年3月)
https://doi.org/10.69264/jsssll.28.0_125
 
塚本昌則 評「宿命としての運命と贈り物としての運命」 (『れにくさ』第15号、144-147頁 2025年3月)
 
勝田悠紀 評「終わりの後の物語」 (『文学+』WEB版 | note 2024年11月1日)
https://note.com/bungakuplus/n/n84493f203b66?magazine_key=m43c7d24feaac
 
篠原 学 評「◆今週の一面◆須藤輝彦著『たまたま、この世界に生まれて』(晶文社)を読む ミラン・クンデラの描き出す運命──運命を認める自由、その可能性を、小説という形式のうちで模索しつづけた作家」 (『図書新聞』3650号 2024年8月3日)
https://toshoshimbun.com/product__detail?item=1721891005104x498514336961789950
 
前田龍之祐 評「文学における 「運命」とは何か」 (『表現者クライテリオン』 2024年7月号)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/240709/

【特集】博論本 (『綴葉』No.427 2024年5月号)
https://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/images/teiyo-427.pdf
 
沼野充義 (東京大名誉教授) 評「クンデラの作品研究」 (『産経新聞』 2024年4月7日)
https://www.sankei.com/article/20240407-IK2UIBFJY5O6HE22AXWNA5NFQ4/
 
選評:
郷原佳以 (フランス文学)、小林えみ (マルジナリア書店)「2024年上半期の収穫から」 (『週刊読書人』 2024年7月26日号)
https://dokushojin.net/news/666/
 
魚豊「理想の本棚」 (『BRUTUS』 2024年12月号)
https://magazineworld.jp/books/digital/?8387BU1021A000000000
 
イベント:
NEW! 【トークイベント】『物語化批判の哲学』刊行記念/難波優輝× 須藤輝彦「〈何者か〉になれない時代に、どう生きるか――人生の物語化をめぐって」 (SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS 2025年8月27日)
https://www.shibuyabooks.co.jp/event/11380/
 
古田徹也 × 須藤輝彦 / 司会 = 吉川浩満
「もしも人生がガチャやギャンブルだとしたら ──ミラン・クンデラと運命をめぐって」 (ゲンロンカフェ 2024年4月27日)
https://genron-cafe.jp/event/20240427/
 
クンデラ研究会主催『たまたま、この世界に生まれて──ミラン・クンデラと運命』合評会 (東京大学本郷キャンパス 2025年4月11日)

小倉ヒラク・須藤輝彦「発酵とクンデラ──生物学と文学を醸す」 (三鷹・本と珈琲の店UNITÉ 2024年12月21日)
https://unite-books.shop/items/685124dc5348c51e502b7660

須藤輝彦・阪本佳郎・中井杏奈「歴史」の運命と「私」の自由~クンデラとバチウ、ふたりの文学者が出遭うとき~ (1003 2024年10月13日)
https://1003books.stores.jp/items/66e25b06a625e8026c49d607
 
須藤輝彦 + 朱喜哲「文学とは何なのか、哲学とは何なのか」 (ジュンク堂書店池袋店 2024年5月24日)