本書は、アメリカの小説家レイモンド・チャンドラー (1888-1959) のキャリア全体を扱った研究書である。
チャンドラーはおそらく世界で最も有名なハードボイルド探偵小説の書き手である。とりわけ彼が生み出し、全長編に主人公として登場させたキャラクターのフィリップ・マーロウは、「ハードボイルド探偵」の代名詞的存在として広く知られている。日本においてもその人気は根強く、今世紀に入っても村上春樹が全長編を翻訳しており、探偵小説の愛好家のみならず、広範囲の読者を獲得し続けている。
そのような有名作家でありながらも、日本では単独の著者による研究書はこれまで存在しなかった。本書は7冊の長編小説はもとより、初期の詩や短編小説、さらには映画シナリオをも含めたチャンドラーの全作品を出版順に論じ、チャンドラー文学を総体的に理解しようという、本邦初の試みである。そのような本書の性格に鑑み、各章の冒頭には最新の伝記研究も踏まえたチャンドラーの評伝も組みこんでいる。
これまでチャンドラーに関する研究が遅れていたのは、彼が「大衆文学」の作家にすぎないと見なされていたことに一因があるだろう。しかし近年のアメリカにおいては、チャンドラーの作品は「ただの探偵小説」ではなく、「シリアスな文学」であることは広く認められている。とりわけ1980年代以降、彼は「ノワール文学」の、そして「都市文学」の代表的な書き手として認知され、研究が精力的に進められてきた。
本書の議論がそのような近年のチャンドラー研究の豊かな成果を踏まえておこなわれていることはいうまでもないが、本邦初のチャンドラー研究書である本書としては、現在の視点であらためてチャンドラーの作品を「ハードボイルド小説」として再評価することも目指している。そうするにあたって特に注目したのは、チャンドラーが自分の作り出したフィリップ・マーロウというハードボイルド探偵の「イメージ」と、どのように格闘したかという点である。
チャンドラーはハードボイルド探偵の「イメージ」を作り上げることによって、大衆文化に多大な影響を与えることになった。だが、優れた「文学」は「イメージ批判」という面を持つものである。チャンドラーはフィリップ・マーロウの「イメージ」を決して固定化せず、むしろひたすらそれを揺すぶり続けることによって、作家として成長していったのである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 諏訪部 浩一 / 2025)
本の目次
第二講 チャンドラー以前のチャンドラー――詩とエッセイ
第三講 パルプ作家時代――短編小説
第四講 マーロウ登場――『大いなる眠り』
第五講 シリーズの始まり――『さよなら、愛しい人』
第六講 弱者の味方――『高い窓』
第七講 戦争の影――『水底の女』
第八講 チャンドラー、ハリウッドへ行く――映画シナリオ
第九講 依頼人のいない世界――『リトル・シスター』
第一〇講 「人間」としてのマーロウ――『ロング・グッドバイ』[1]
第一一講 チャンドラー文学の到達点――『ロング・グッドバイ』[2]
第一二講 未完のプロジェクト――『プレイバック』
引用文献一覧
あとがき
関連情報
若林踏 評「”ハードボイルド”の代名詞・名探偵「マーロウ」の本当の姿とは?作家チャンドラーが探偵小説の革新者となるまでの格闘」 (『群像』 2025年3月号)
https://gendai.media/articles/-/146699

書籍検索



