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書籍名

アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である アーレント判断論の社会学的省察

著者名

橋本 摂子

判型など

288ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2024年11月19日

ISBN コード

978-4-13-050211-5

出版社

東京大学出版会

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アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である

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本書は20世紀を代表する思想家ハンナ・アーレントをめぐり、社会学の視角からその思想の核心に迫ろうとする類例のない試みである。
 
本書の視座は、ホロコーストの象徴である絶滅収容所を全体主義の最高到達点と位置づけたアーレントの全体主義理解をふまえ、われわれはいかにして歴史から断絶した前例のない「悪」を判断しうるかというアーレント判断論の問題設定を引き継いでいる。原理なき場所で思考し、最悪な出来事の反復可能性を見据えたアーレント思想は、特定の党派に還元されえない普遍的広がりと深さをもつがゆえに、価値自由Wertfreiheitをルーツとする社会学の視座に近接するだろう。
 
ただし本書で目指したのは、社会学の伝統的な問題構制に引き寄せてアーレントを再解釈したり、新たな社会理論を構築するために流用したりすることではない。あくまでも、アーレント思想の核心にあるものをそれ自体において理解する、そのために、社会学における既存の議論を参照点として用いた。アーレントは「悪の凡庸さ」を起点に、カントの定言命法を棄却し、カント美的趣味判断に政治的判断の範型を見出しつつも、カントから離れ独自の判断論を構築していった。その足跡をたどる上では、ホロコーストに近代的合理主義の極致を見出したバウマン、カント実践理性の道徳的破綻をいち早く見抜き痛烈に批判したジンメル、コミュニケーションを自己充足かつ自己準拠的システムとして描いたルーマン、理想的な合意形成を通じて真理に到達しうると考えたハバーマスなど、いずれも社会学で蓄積された議論が重要な補助線となる。
 
こうした議論を通じ、本書ではアーレントの描く「判断」が、言論を通じた公的世界の創設行為であると同時に、複数性という事実factual truthの自己準拠的な再生産過程として動的に構想されていることを論じた。その意義は、社会学理論がアーレント研究にもたらす新たな貢献とともに、これまで問われてこなかったアーレントと社会学との交差から、社会学知の新たな可能性を示したことにも求められるだろう。
 
アーレントの複数性という概念は、〈外〉と〈他〉に開かれていること、つまり自由であることと同義であり、現代における公共性や多元性擁護の理論的源泉の一つである。なぜ複数性が重要なのか、その価値をいかに基礎づけるかという難問に対し、アーレントは、神や一般意志などの超越的理念、あるいは近代的な功利や有用性概念に依拠することなく、後のオートポイエーシス概念を先取りする独創的な手法によって、ただそれ自体のためにある純粋な自由の実現可能性を示した。本書の問題提起によって、人間の複数性という事実が今いちど確認・共有され、その根源的な価値についての理解が深まる一助となれば、これに勝る喜びはない。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 橋本 摂子 / 2025)

本の目次

序章 アーレント「純粋政治批判」を解読する
 
1章 アーレント判断論をめぐって
1.アーレント思想の受容と背景/2.判断論の成立と展開/3.「政治理論」への還元
 
2章 ホロコーストと社会学的想像力
1.ファシズム、大衆、社会学/2.核心としての「絶滅収容所」/3.大衆社会論からの離脱/4.社会科学と「悪の凡庸さ」/5.全体主義と「事実」の位相
 
3章 全体主義と道徳哲学
1.始まりの場所/2.アイヒマンの弁明/3.実践知と実践理性/4.第三帝国の定言命法/5.「行為」の公共性/6.思考放棄の先へ
 
4章 廃墟からの公共性
1.カント『判断力批判』の発見/2.共通感覚と伝達可能性/3.趣味判断から政治的判断へ/4.共通感覚の系譜/5.リアリティとしての共通感覚/6.純化の思考
 
5章 排除の政治とその始源のアポリア
1.道徳哲学の誤謬/2.真理と生命の棄却/3.創設=基礎づけの革命論/4.オートポイエティック・システムとしての政治/言論/5.複数性再考
 
補論 真理をめぐるコミュニケーション
1.正解のない判断論/2.美学化への抵抗/3.討議倫理による批判(理論)的継承/4.合意と真理を止揚する/5.純粋政治とは何か
 
終章 不正を理解すること
 

関連情報

書評:
河合恭平 (大正大学人間学部人間科学科准教授) 評 (『社会学評論』第76巻第1号 2025年6月)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jsr/list/-char/ja
 
小山裕 評 <本の棚> (『教養学部報』662号 2025年4月1日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/662/open/662-2-02.html
 
関連記事:
アーレント城と一つの放浪記 (橋本摂子) (『UP』 2025年5月号)
https://www.utp.or.jp/book/b10134933.html
 

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