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『淡青』の25年 1999年創刊の広報誌が50号目に到達

掲載日:2025年8月14日

淡青の25年

1999年10月に創刊した『淡青』が、今号で節目の50号を迎えました。
創刊時に広報委員会(現・広報室)で編集に携わった谷口将紀先生に、当時の様子を教えてもらいました。キャンパスの一端を切り取ってきたこれまでの表紙を一覧しながら、25年の歩みをご確認ください。

1999年4月、全学の広報委員会に加わったのが、当時助教授の谷口先生です。この頃の広報誌といえば広報委員会が編集を担う『学内広報』。主に学生運動の動向を教職員が共有するため、1969年に生まれた冊子です。この媒体が念頭にあった谷口先生ですが、第1回委員会では広報委員長の大塚柳太郎先生から意外な宣言がありました。

「学外向けの新広報誌を作る、と。大変そうで担当になりたくないと思っていたら、真っ先にチームに指名されたのが私で……。国立大学が文部省の一機関だった時代ですが、これからは学外への広報が重要だと言われました」

谷口将紀教授
創刊当時を振り返ってくれた公共政策大学院の谷口将紀教授。

当時の広報委員長は現在の広報担当執行役に近い要職。新広報誌構想は大塚先生のリーダーシップによるものでした。半年後の創刊を託されたチームは、突貫で作業を開始。巻頭は蓮實重彦総長の対談記事とし、お相手には卒業生で前文部大臣の町村信孝さんを提案。懐徳館での取材は大塚先生が仕切りました。大特集は、学生生活実態調査も活用する形で「東大生のいまむかし」に。誌面には、本郷構内の時計店主や33年間駒場で働いた職員、後に総長となる佐々木毅先生も登場しています。

「元指導教員だったので、すぐに話を聞けたのです。記事も自分で書きました。他の企画も同様で、各委員が身近なところから手作りでした」

誌名については、東大を象徴する名が模索されました。ただ、「赤門」だと駒場や柏が入らない、「銀杏」は同窓生組織がすでに使っている、引用する校歌もない……と決定打は出ず。残ったのがスクールカラーの「淡青」でした。

「他にないからまぁいいか、という感じでした。多忙で大変でしたが、編集を通して自分も知らなかった東大の姿を学ぶことができました」

谷口先生が専門とする政治コミュニケーションの分野では、硬派な話題を人々にどう伝えるかが問題になるそう。健康のため野菜を食べさせるには、焼肉定食にサラダをつけたり、ハンバーグに野菜を混ぜ込んだりするのと似た工夫が必要です。

「大学広報誌も事情は同じ。UTokyo Compassだけでは一般の人の興味は引きにくい。でも、たとえば総長が大谷翔平選手と対談して、あなたのように世界で活躍する人を育てるための指針だと言えば、食いつきもよくなるでしょう」

50号を迎えた今号の特集テーマを伝えると、学生時代に入学式の式辞で、当時の有馬朗人総長が、東大には金がないと話したことを思い出したという谷口先生。最後に気になる指摘もくれました。

「『淡青』は、大学のよい部分やきれいな部分ばかりを強調して、悩みや苦しみを伝えきれなかった面もあるかもしれませんね」

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