トンボから探る昆虫進化の謎
トンボは身近な昆虫ですが、その変態や体色がどのような遺伝子によって制御されているのか、分かっていないことが数多く残されています。トンボ研究の基盤づくりから取り組み、変態を制御する遺伝子の解明に挑んできた新領域創成科学研究科助教の奥出絃太先生に、研究の魅力と将来の展望などを聞きました。
100均で購入したという仕切りがあるプラスチック製の小物収納ケースで、トンボの幼虫「ヤゴ」を育てている奥出先生。ヤゴは共食いするため、一つのセルに一匹ずつ入れて管理しています。今年4月に東京大学卓越研究員として着任後、柏キャンパスの五六郎池などで採集したヤゴは200~300匹。今年度は約30種を飼育しました。
奥出先生が研究するのは、トンボの変態です。トンボは卵から水中で生活するヤゴとなり、複数回の脱皮を経て翅を持つ成虫へと大きく姿を変えます。その過程を解明することで、昆虫がどのように進化してきたのかを理解できるのではないかと考えています。
「地球上にはいろいろな生物がいます。ウサギ、カエル、アゲハチョウ……。それらの多様な種や形質がどのように作り出されてきたのかということに一貫して興味を持ってきました」と奥出先生。「生物の中でも一番多いのが昆虫で、ほとんどが変態する種です。トンボは、変態して翅を獲得する昆虫の中で最も祖先的なグループに属すると言われています。その変態メカニズムが分かれば、昆虫がどうやって多様化してきたのかを知る手がかりになると思っています」


研究のための土台作り
北海道札幌市出身の奥出先生が、トンボに魅せられたのは小学生の頃。週末になると父親とともにトンボが生息していそうな川や沼を訪れ、網を手にトンボを追いかけていたといいます。特に惹かれたのは、鮮やかな青色の斑紋を持つマダラヤンマやオオルリボシヤンマでした。
「当時の北海道ではカブトムシは見られませんでした。カマキリやゴキブリも見たことがありませんでした。地味な虫が多い中、トンボはとても綺麗でかっこよくて。青色の虫も珍しく、夢中になりました」
東大理学部生物学科を卒業後、理学系研究科へ進学した奥出先生が研究対象に選んだのも幼い頃から好きだったトンボでした。しかし、研究の前提となる飼育法や実験手法がほとんど確立されていない「非モデル生物」のトンボの研究は、容易ではなかったといいます。個別飼育が必要で、生きた餌を毎日与えなければならないヤゴを大量に飼育できるのか。何回脱皮するのか、変態のどの段階で体が変化するのかといった基礎的な情報も十分には分かっていませんでした。
そこで、研究を行うための基盤づくりから始めた奥出先生。修士課程では、採集しやすいアオモンイトトンボの幼虫118個体を、細胞培養に主に用いられるプレートで個別に飼育しました。羽化までの約4か月間、成長の過程を記録することで、同じ条件下でも脱皮回数が個体によって異なることや、研究室内でも安定して飼育できることを明らかにしました。
「そもそも卵から成虫まで飼育できるのかどうかも分からない状態だったので、研究室の中でも安定して飼育できると分かったことは大きかったです」
博士課程ではさらに対象を広げ、日本に生息するトンボ種の約1/4を占める14科49種158個体の終齢幼虫(最後の脱皮をする前の幼虫)を毎日観察し、羽化までの発生過程を比較しました。ヤゴが静止した瞬間を狙っての撮影は、毎日3~4時間に及んだといいます。新しい種が手に入るたびに観察を始め、これを繰り返すこと2~3年。撮影した画像は5000枚にのぼりました。倍率や光の条件をそろえて画像を整理する作業にも膨大な時間がかかりましたが、この取り組みによって羽化前の終齢幼虫期を、共通の基準で3つの段階に分けられるようになりました(Okude et al. 2021 Scientific Reports)。


変態を制御する遺伝子を探る
地道な努力を重ねて整えた飼育法や実験手法を使って奥出先生が取り組んだのが、2022年に『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に発表した、トンボの変態を制御する遺伝子の解明です(Okude et al. 2022 PNAS)。
「幼虫でだけ発現している遺伝子や、成虫でだけ発現している遺伝子の中に、変態を切り替えるスイッチのようなものがあるのではないかという発想で、その遺伝子を探すような実験を行いました」
体の各部位で働く遺伝子を網羅的に調べたところ、頭、胸、翅、腹のすべてに共通して、幼虫だけで働く遺伝子が8個、成虫だけで働く遺伝子が7個見つかりました。これらの役割を一つずつ確かめるために用いたのが、トンボでは前例のなかった遺伝子機能解析の手法です。遺伝子の働きを一時的に抑えるRNA干渉(RNAi)に、電気刺激で細胞に物質を取り込ませる「エレクトロポレーション法」を組み合わせ、狙った部位の遺伝子だけを止めることができます。
解析を進めたところ、「Kr-h1」という遺伝子が幼虫の形質を維持する重要な役割を担い、「E93」が成虫形成に不可欠な遺伝子であることが明らかになりました。他の昆虫で知られていた変態制御の仕組みが、トンボにも保存されていることを示す結果でした。
Kr-h1の働きを部分的に抑えたところ、ヤゴの体の一部に、成虫にしか見られない青い紋様が現れたのを顕微鏡で見たとき、トンボ研究の可能性を強く感じたといいます。「こんなに分かりやすく、綺麗に成虫っぽい模様が出てくれるんだと思いました。この手法を使えばトンボでもいろいろなことが分かっていくと感じました」
現在、奥出先生が変態の研究と並行して取り組んでいるのが、トンボの体色形成です。青、黄、オレンジ、白、緑など多様なトンボの色が作り出される色素や遺伝子メカニズムを明らかにしたいと考えています。
「トンボが好きな人は多いですが、顕微鏡で細部まで見ている人はそれほど多くありません。新しいことを見つけるチャンスが、他の生き物よりも圧倒的に多いのが楽しいところです。いろんな昆虫に手を広げるよりも、トンボという生き物の面白さを幅広く解き明かしていきたいです」


