東大の宝第6回
史料編纂所が所蔵する、約1万7000点の史料からなる国宝「島津家文書」。
鎌倉時代から明治までの歴史を伝える文書群のなかから豊臣秀吉の刀狩令を取り上げ、天下人の権力が文書にどのように表れているかを紹介します。
700年の歴史を伝える国宝「島津家文書」刀狩令から見える秀吉の権力
遠藤珠紀
ENDO Tamaki
史料編纂所 准教授

薩摩藩主島津家に代々伝わる史料群、国宝「島津家文書」。初代・忠久が元暦2(1185)年に伊勢(三重県)の地頭に補任された際の源頼朝下文に始まる、約17,000点の文書群です。昭和32(1957)年に、第30代の島津忠重(鑑康) 氏から史料編纂所が購入したことがわかっています。
「同一の武家の家に関連する700年におよぶ史料がまとまって伝わる唯一の文書群です。内容も政治、外交、社会、経済など多岐にわたり、貴重です」と話すのは、中世朝廷制度史が専門の遠藤珠紀先生です。織田信長や豊臣秀吉などの文書、手紙のやり取り、島津家内での日記なども含まれ、鎌倉から明治まで続いた島津家の歩みと、時代ごとの政治や社会の変化が分かるといいます。
そのなかでもよく知られる史料の一つが、天正16(1588)年7月付の「豊臣秀吉掟書・刀狩令」です。農民が持つ弓や鉄砲などの武器を没収し、それを京都・方広寺の大仏建立の釘や鎹に用いること、農民が農業に専念することを命じた、日本史の教科書にも登場する有名な法令です。
注目すべきは紙の大きさだ、と遠藤先生。「秀吉の文書はとにかく大きいのが特徴です。権力が大きくなるにつれて、その権力を誇示するかのように紙のサイズも大きくなっていきました」
刀狩令に使われているのは、「大高檀紙」と呼ばれる厚手の高級紙。秀吉が島津氏を平定し、全国統一を目前にした天正15年頃から文書の大型化が顕著になったといいます。同時期の織田信長の文書と比べても1.5倍ほど大きく、その規模の違いは一目瞭然。また、秀吉の権力の変化は署名や印にも表れています。
「秀吉の文書を多数集めて比較すると、署名や印の位置が少しずつ上へ移動していくことが分かります。信長生前は名前と花押、没後には名前と印、関白就任時は印のみに変わり、島津征伐の頃には大高檀紙に印のみという書式になりました。こうした変化は様々な研究で指摘されています」と遠藤先生。「全体的に偉そうな書式になっていく。見た目にも秀吉の権力の大きさが示されています」
史料編纂所では、2015年度から5ヶ年計画で「御文書」の本格的な修理事業を行い、刀狩令についても詳しい調査を実施しました。巻物として保管されていた文書を一度解体し、紙質を分析したことで、16世紀当時とほぼ同じ材料・製法による大高壇紙を復元し、高精細画像をもとにしたコロタイプ印刷での複製がつくられ、現物さながらの手触りや厚みを再現しています。
一枚の古文書には、書かれた内容だけでなく、紙の質や大きさ、署名や印の配置など、さまざまな情報が刻まれています。刀狩令は、天下統一を進めた秀吉が自らの権威をどのように示そうとしたのかを今に伝えています。


史料編纂所
古代から明治維新期までの日本史史料の研究や収集、史料集の編纂・出版を担う研究所。ルーツは寛政5(1793)年に設立された和学講談所にさかのぼります。『大日本史料』など1200冊を超える史料集を刊行するほか、所蔵史料のデジタル公開も進めています。


