建築学と考古学を掛け合わせて8世紀の建物を次代へ「受け継ぐ」
建築学専攻の海野聡先生は、技術より理念が先にあった古代の建築に惹かれ、寺院や宮殿の調査や復元の取り組みを続けています。
建築学と考古学の両面から進めるは、古建築を「受け継ぐ」試み。
南都と不即不離の関係にある研究を紹介します。
薬師寺東塔の解体に立ち会って
UNNO Satoshi
工学系研究科 准教授
古建築の調査と修理、遺跡の発掘と復元の研究を進めています。残っている建物も遺跡になった建物も同じ枠で捉えるのが私の特徴。学生の頃、各時代の優品をつないで語る建築史の既往研究に違和感を覚えました。古代史の佐藤信先生の話を聞くなかで、建築学と考古学を分けずに考えるようになりました。
現代よりずっと社会的意義が強かった古代の建築からは、未熟だった技術で理想を志す姿が伝わります。現代は予算ありきですが、古代では建築の理念がまずあり、そこに努力で近づこうとした跡が見えるのが魅力です。
奈良文化財研究所
にいた頃、薬師寺東塔に1年間通いました。塔の未解体部を解体するタイミングで、新たな技術のほか、墨書も多数発見しました。柱上の部材の裏にあったのは、練習跡と目される文字。8世紀の人が書いた字を現代の自分が初めて目にする感動を味わいました。
法隆寺金堂では昭和の修理の際に外した部材を調べました。興福寺五重塔の約120年ぶりの修理には修理専門委員会の一員として参加しています。奈良に限らず、愛知、福島といった各地の古建築の調査、身近な場所では本郷の赤門や小石川の旧東京医学校本館の修理も対象です。
平城宮跡では立太子に合わせて建てられた大極殿院東楼を復元(再建)設計しました。図面はないので関連資料や発掘で出た部材が頼りです。基本設計ができてもその通りには進みません。現代の耐震基準に合わない場合があり、調整が必要なのです。建築史から発掘調査、構造や法の理解も求められます。

出典:『日本建築史基礎資料集成11 塔婆1
』(中央公論美術出版、1984年)つっかい棒を外すか残すか
古建築を受け継ぐ方法はいろいろ。時代の技術や表象の粋である建物はそのままの姿で残すことに意味がありますが、使い続けることが求められる建物ではそうとは限りません。たとえば、薬師寺では補強のつっかい棒を入れていましたが、明治の改修の際に外され、つっかい棒無しで成り立つような手法が用いられました。一方、法隆寺では江戸時代に入れたつっかい棒が健在です。棒に龍の彫刻が施され、意匠性に富み、不思議と調和しています。そのように、日本では昔から個々の建築に即した修理が行われてきました。
しかし、石造が主流の欧州では、復元を含む日本の文化財保護のやり方に異論を唱える向きがあります。たとえば、コロッセオは壊れた状態でも価値が伝わりますが、木造寺院は壊れたら土地が残るだけ。多様な文化財に一元的な価値観を求めるのはおかしく、修理も各々の文化に根ざすべきだと思っています。
関東と関西の建築を比べると、歴史の厚みは後者が圧倒的です。東京では江戸時代の建築の大半が関東大震災と空襲で消えましたが、奈良や京都では被害がそこまでひどくありませんでした。関西のなかでも奈良時代の建築は奈良に多く残るのに、平安時代の建築は京都にはほとんど現存しません。都であり続けた京都と、宗教都市に変わって戦乱や政治的軋轢から離れた奈良の違いです。古建築の研究者としては今後も奈良から離れられません。


『古建築を受け継ぐ
』(岩波書店、2024年)豊富な実例に基づいて日本建築のメンテナンスの世界を紹介する一冊。


