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分断された8世紀の事務書類を復原|稲田奈津子 1900年から続く正倉院文書調査

掲載日:2026年6月16日

分断された8世紀の事務書類を復原
1900年から続く正倉院文書調査

史料編纂所は正倉院の古文書約1万点の調査を126年間続けています。
中断は関東大震災と太平洋戦争の頃だけ。2つの理由からバラバラになってしまった膨大な事務文書をつなぎ直す取り組みとは? 紙についた染みも見逃さない精査とは?
2004年からこの調査を担当する稲田奈津子先生に教えてもらいましょう。

正集(45巻)、続修(50巻)、続修後集(43巻)、続修別集(50巻)、塵芥(39巻+3冊)、続々集(440巻+2冊)から成る正倉院文書のうち、6集それぞれの第1巻を並べたもの。

世界的に貴重な8世紀の事務文書

稲田奈津子
INADA Natsuko
史料編纂所 准教授

東大寺の正倉院宝庫には8世紀の古文書が約1万点収蔵されており、正倉院文書と呼ばれています。そのほとんどは東大寺写経所という役所の事務書類。仏典を写す事業に関する帳簿や作業記録、役人の給料明細や欠勤届などまで含まれます。8世紀の古文書がこれだけ残るのは世界的にも稀です。

宝庫は天皇の許可なしには開けられません。竹の皮で包んだ御親署が鍵についていて、勅使の前でないと開封はNG。年に一度、2ヶ月の開封期間が設けられ、収蔵物が点検されます。そこで一日4時間×5日間だけ許されるのが正倉院文書の調査です。

当初の目的は史料集『大日本古文書』(編年文書)のための文字起こしでしたが、1940年に全25巻で完結して以降は、『正倉院文書目録』の編纂が主眼となりました。この編纂には特徴があります。昔は紙が貴重だったため、他所で保管期間が過ぎた公文書の払い下げを受け、裏面を再利用していました。当時の戸籍や計帳なども含まれるのはそのため。紙の表裏で別の内容が書かれているのに加え、巻物自体も分断されたため、元の状態への復原が必須なのです。

1回目の分断は奈良時代。必要な分だけ紙を切り貼りすることが繰り返され、表面の写経所の書類は読めるものの、裏面の内容はバラバラという状況が生じました。2回目の分断は幕末以降。国学者の穂井田忠友が整理したんですが、彼の興味は表の写経所の事務書類ではなく、裏の戸籍や著名人の書簡や役所の判子など。裏面の欲しい部分だけをつなぎ合わせた結果、表面もバラバラになりました。

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正倉院事務所での調査風景(2021年)。白衣とマスクをつけますが、紙を傷める恐れがあるので手袋はNG。紙の状態を知るのにも素手のほうがよいそう。
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床下まで約3mもある高床の正倉院宝庫の前で。主担当は稲田先生と古田一史先生の二人ですが、調査時は編纂所教員から手練れの助っ人チームが加わります。

微細な痕跡から接続を推定

表も裏もバラバラのそうした文書を、パズルを解くように復原するのが私たちです。『正倉院文書目録』では、見開きの右頁に表面の情報、左頁に裏面の情報をまとめ、どの巻のどの紙につながるかを整理しています。紙に残る染みをたどって別紙との接続を推定したり、筆の払いの続きに見える部分が別紙にあることに着目したり。すべてわかるわけではなく、そもそも続きが残っていない場合も多々あります。

脚色のない原文書である正倉院文書は、古代研究の基本史料です。たとえば「請仮解」という休暇届からは、役人が仕事を休む理由が見えます。腹痛、親の死、子の看病、一族の儀式、作業着の洗濯……。8世紀の人がどんな文字や言葉を使っていたのかもわかります。国家体制のような大きな世界ではなく、もっと小さな現場の状況が窺える史料です。

正倉院文書には朝鮮系の人名も登場します。当時の渡来人は知的エリートで写経にも携わったため、まとまった古代史料が少ない韓国の研究者も注目しています。渡来人が日本に持ち込んだ事務のやり方がわかれば、古代の朝鮮でも同様のやり方だったと推測できる。朝鮮史の研究にも役立つ史料です。

『正倉院文書目録』は現在9冊まで刊行されていますが、まだ折り返しも遠い状況です。すべての検証は私が定年を迎えても終わりません。史料編纂所の重要な使命として後輩に引き継いでいきます。

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文字の払いの部分をヒントに別紙同士のつながりを見つけた例(正集44巻第10断簡と続修後集12巻第8断簡)。
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稲田先生の共著
黄泉の国との契約書』(勉誠出版、2023年)別ウィンドウで開く
東アジアの墓葬遺構から発見された「買地券」を読み解く一冊。自身のメインテーマは喪葬儀礼です。

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