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大名庭園から現代の憩いの池へ 三四郎池 Vol.2

掲載日:2026年3月27日

東京大学の宝物のひとつ、三四郎池は江戸時代初期に加賀前田家によって造られた庭園のなかにあります。大名庭園には、風雅な池が欠かせません。庭園は「育徳園」、池はその形から「心字池」と名づけられました。明治時代になり、文豪・夏目漱石が小説「三四郎」で、主人公とヒロインをこの池でめぐりあわせました。小説はヒットし、後に池の愛称もそうなりました。現在では、学生や教職員、地元の人や来訪者が散歩する姿が見られ、憩いの場になっています。大学の工学の研究者から見ると、ここはどのような池なのでしょう。

三四郎池

武蔵野台地の突端にある本郷キャンパス

まず、横張真・特任教授(緑地環境計画)に聞きました。横張先生は、『育徳園の履歴とあり方』(2016年)という報告書を、理学部や工学部、農学部、文学部などの先生たちとまとめました。農学部で学び、大学院工学系研究科教授を務めた環境についての幅広い専門家です。

報告書によると、池の広さは約3600平方メートルあります。かなりの広さです。周囲は樹木が鬱蒼としていて、池も深そうに感じます。けれども、水位は標準で86cmと、浅いのです。残念ながら、正体不明の生物が出てくる可能性はないそうです。

本郷キャンパス地形
台地の際に位置している三四郎池(画像中央)
出典:デジタル標高地形図(東京都区部)国土地理院をもとに作成

三四郎池をふくめて本郷キャンパスは東京の北西から続く武蔵野台地の突端にあります。本郷台地または本郷台と呼ばれます。

横張先生によると、台地と平野が交わる谷の奥にはよく農業用のため池がつくられてきました。はっきりした履歴があるわけではないものの、ここにもかつてそうした池があり、それを前田家が庭園の池として活用した可能性があるといいます。

隣は上野の台地、見晴らしの良い一等地

台地の端は、見晴らしがいい一等地です。城や寺がよく造られます。江戸幕府から本郷台の土地をもらった前田家は、ここに大名屋敷を築きました。藩主は文人を招いて庭園の小山から上野の岡などの景観を楽しんだそうです。(『東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる』東京大学出版会(2018年))

横張先生によると、武蔵野台地の末端には水の流れでできた谷が幾筋もあり、本郷台地の東には根津の低地や不忍池(しのばずのいけ)をはさんで上野の台地、西には小石川の台地や低地があります。現在は建物で見えませんが、江戸時代には本郷から上野が見えたのです。

台地なので坂道も多く、小説『三四郎』では主人公とヒロイン美禰子が団子坂で菊人形を見て、別の坂道から不忍通りの方向に出たようです。

生物の宝庫、自然のエアコン機能もある池

三四郎池をふくむ育徳園周辺には、報告書の記載で71種808本の樹木や、動物ではトンボ20種、カタツムリ25種などが確認され、東京都心で貴重な緑の空間になっています。 三四郎池と周囲の地形には、自然のエアコン機能もあります。

大学院工学系研究科の高取千佳・准教授(環境デザイン)がスーパーコンピューターで明治時代と現代の風と熱の動きを計算しました。東京都心部で現代の8月、海から南東の風が吹くと、三四郎池周辺に上空から冷たい風が吹き下ろし、現代で地表面付近の気温が最大1.7度程度低くなる可能性があることが計算できました。これは周辺の都市空間の立体的な変化に対し、池周辺が開けた地形として残っているためだそうです。

庭園が伝える温暖化

江戸時代の育徳園に南方産の棕櫚(シュロ)を植えたと見られる様子が、当時の絵に残っているそうです。棕櫚は当時、九州南部でしか生えていません。大藩どうしの付き合いで、薩摩藩から加賀藩にプレゼントされたのではないか、というのが横張先生の見立てです。

当時の江戸は寒く、この時の棕櫚はなんとか枯れなかったものの、繁殖はしなかったと思われます。ところが地球温暖化とヒートアイランド現象によって東京の冬の平均気温が上がると、1960年代ごろから東京でも棕櫚が繁殖するようになりました。育徳園でも邪魔なほど繁茂しました。鳥が種を運んできたのではないかといいます。江戸時代由来の庭園にとっては外来種なので伐採したそうです。三四郎池は東京の温暖化の生き証人でもあると横張先生は話します。

回遊式庭園 水質や植生、アクセスに課題

2025年に東京大学の学生と教員の有志で「三四郎池について学生&教員有志で考える」という座談会がありました。

学生から池の水が「臭くて汚い」「生態系は貧相」との発言がありました。漱石の小説『三四郎』でも、すでに登場人物から「水が汚いわね」と言われています。なぜでしょう。

横張先生の説明では、本郷キャンパスは赤門あたりの標高が高く、三四郎池は一段低くなっています。かつては高い場所に降った水が地面にしみこみ、低い位置の池で湧き出していました。ところが明治以降に地面が舗装され、地下を通って池に湧き出す量が減りました。今では、三四郎池の水位を維持するために、別のところからポンプで地下水をくみ上げ、水位を保っています。池から出ていく水はほとんどなく、そのために濁っています。

この庭園は回遊式庭園という形式です。高取先生によると「池のまわりを高低差のある園路で巡って、いろいろな世界が展開していく。閉ざされたり開けたりしながら、東屋(あずまや)や橋の上、ちょっと小高い場所で視界が開けて見える」のが魅力です。現状では木が伸びすぎて視界がさえぎられる場所があります。

キャンパスで車椅子に乗る
本郷キャンパスを車いすで移動する様子(提供:高取千佳)

高取先生は車椅子に乗る人や学生らと、本郷キャンパス内を移動してみたことがあります。車椅子にとってキャンパス内には障害になる場所が多く、とくに、安田講堂から三四郎池に向けての下り坂は傾斜も急で、補助者が後ろについていても危険だったそうです。池に降りる道も険しく、池をめぐる園路に車椅子は入れませんでした。将来、整備して池を見てもらうには、「比較的平坦でアクセスしやすい大学病院側からのルートが望ましいのでは」と高取先生は考えています。

現代の価値にふさわしい場所に

三四郎池周辺の動植物とその環境は、都市では貴重な存在です。けれども、現状のまま残すのか、大名庭園の姿に戻すのか、現代の人が楽しく散歩できるように整備するのか、人によって価値観が様々で、方針がまとまっていないといいます。資金も必要です。具体的な整備への議論はこれからです。

横張先生は「近くに大学病院があるので患者さんも車椅子で来られて、教職員や住民の方も疲れたらここで一休みできる場所にできればいい。古い機械を現代的な機能を満たすように改良するレトロフィットの考え方がある。エリアの担うべき機能を考える。実験的にやって失敗してもいいのです。ここは大学なのだから」と提案します。

高取先生は「三四郎池は、すごく良くなる可能性がある場所です」と評価します。景観を楽しめる所までだれもが行けるユニバーサルデザインの考えが、現代の街づくりでは大切だといいます。車椅子の方もここまで入れますという表示をしたり、必要な時に仮設のスロープを用意したり、優先的に整備する道路を選んでいくという方法が考えられるそうです。

兼六園とゆかりの庭が大学に残る

三四郎池

育徳園はもともと加賀藩邸の藩主のための庭園で、許されたもの以外の出入りは厳しく制限されていました(『育徳園の履歴とあり方』)。藩主は参勤交代で領国の加賀に戻ったときは、金沢の兼六園に遊びました。日本の三大庭園の一つにあげられる豪華な庭園です。育徳園にも同じ熱意で趣向が凝らされたはずです。当時も「江戸諸侯邸の庭園中第一」と言われたそうです。

それほどの庭園が大学キャンパスに残り、学生の測量実習や観察の場としても役立っています。たしかに、赤門とならぶ大学の宝物です。

 
横張 真

横張 真
総括プロジェクト機構 特任教授

東京大学農学部卒業、同大学院農学系研究科修士課程修了。農学博士(東京大学)。筑波大学大学院システム情報工学研究科教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授、東京大学大学院工学系研究科教授を経て、2024年より現職。共編著に『郊外の緑地環境学』(2012年、朝倉書店)、Yokohari, M., Murakami, A., Hara, Y., & Tsuchiya, K. (Eds.). (2017). Sustainable landscape planning in selected urban regions. Springer Japan.ほか。

高取 千佳

高取 千佳
大学院工学系研究科・工学部 准教授

東京大学工学部卒業、同大学院工学系研究科修士課程修了。工学博士(東京大学)。名古屋大学大学院環境学研究科助教、九州大学大学院芸術工学研究院准教授を経て、2025年より現職。文京区都市計画審議会委員。論文に「都市公園管理に関する合意争点の抽出と市民の価値観にもとづく潜在的対立構造の可視化」『ランドスケープ研究』(2026年)ほか。

取材:中島 泰

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