客船 x 海洋科学 Ponant Science Program による海洋調査
客船 x 海洋科学 ーーPonant Science Program による海洋調査
はじめに
普段、私たちの研究室では、学術研究船や大学の練習船などに乗船し、海洋観測やサンプリングを行っています。2026年3月にも学術研究船「白鳳丸」による約1か月間の研究航海を実施し、北太平洋の外洋域で海洋生態系や大気エアロゾルの観測を実施しました。
こうした研究船での航海は私たちにとって日常的な研究活動の一つですが、今回ご紹介するのは少し変わった観測です。2026年5月、私と大学院生の岡本さんは、フランスのクルーズ会社Ponant(ポナン)が運航する探検クルーズ船「Le Soléal」に乗船し、日本沿岸を巡る約10日間の航海で海洋調査を実施しました。
「研究者が客船に乗って研究をする」と聞くと、少し不思議に思われるかもしれません。Ponant社は「Ponant Science Program」と呼ばれる科学支援プログラムを運営しており、研究者に客室と海洋調査の便宜を提供しています。今回は日本沿岸クルーズを対象として初めて日本の研究者向け公募が行われ、私たちの研究提案が採択されました。
私たちが提案した研究テーマは「Invisible Travelers: Microbial Dynamics at the Air–Sea Boundary」です。海水、海表面マイクロレイヤー、そして海洋エアロゾルを同時に採取し、海から空へと移動する微生物を追跡することを目的としています。海洋表層には無数の微生物が生息しています。海表面マイクロレイヤーとは、海と大気の境界に存在する厚さ数十マイクロメートル程度の薄い層であり、微生物や有機物が濃縮される特殊な環境です。海表面に濃縮された微生物の一部は、波や泡の作用によって大気中へ放出され、海洋エアロゾルとして長距離輸送されます。しかし、どのような微生物が海から空へ移動するのか、その実態はほとんど分かっていません。本研究では、3月に白鳳丸で実施した外洋観測を日本沿岸域でも実施し、海洋から大気へと向かう「見えない旅人(Invisible Travelers)」を捉えることを目指しました。


客船で研究を行うための準備
客船では、研究船での観測とは勝手が大きく違います。研究計画の作成だけでなく、大学と船会社との契約手続き、観測機材の搭載方法や船内での設置場所、安全管理、サンプル保管方法などについてPonant社と協議を重ねました。特に課題となったのが、航海終了時の機材とサンプルの搬出です。このクルーズの最終目的地は韓国の釜山でしたが、研究チームが釜山まで乗船した場合、冷凍保存したサンプルや観測機材を海外から日本へ持ち帰る必要があり、輸送や通関の手続きが非常に複雑になります。そこでPonant社や関係機関と調整を行い、私たち研究チームは船が釜山へと向かう前の長崎港で下船し、研究機材やサンプルも併せて陸揚げできるよう特別な許可を申請しました。船会社、代理店、港湾関係者、税関など多くの方々の協力によって実現することができました。
海から空へ移動する微生物を追う
船は大阪を出港し、新宮、姫路、高松、尾道糸崎、広島、別府、宮崎、鹿児島を経て長崎へ向かいました。各寄港地では、船尾のボートデッキを利用して海水と海表面マイクロレイヤーの採取を行いました。海表面マイクロレイヤーとは、海と大気の境界に存在する厚さ数十マイクロメートル程度の薄い層です。ガラスプレート法を用いてこの薄い層を採取し、船上で濾過と保存処理を行いました。また、出港後には上部デッキに設置したエアロゾルサンプラーを稼働させ、大気中のエアロゾルを連続的に採取しました。毎晩フィルターを設置し、翌朝回収する作業を繰り返しながら、日本各地の海洋エアロゾル試料を収集しました。当然のことながら、港によって海の様子は大きく異なります。瀬戸内海の港湾域では懸濁物が多くフィルターがすぐに詰まる一方で、鹿児島港では透明度の高い海水を大量に濾過することができました。こうした地域差そのものが、海洋微生物の分布や機能を理解する上で重要な情報となります。
乗客との対話から見えたこと
研究活動と同じくらい印象的だったのが乗客との交流でした。航海中にはサイエンス講演やサイエンスカフェが開催され、研究内容を紹介する機会をいただきました。乗客の7割がフランス人でしたので、英語でのイベントに対して参加者は決して多くはありませんでしたが、興味を持ってくださった方々から多くの質問を受けました。「良い菌と悪い菌はどのように区別するのですか?」「DNAから未知の生物を見つけることはできますか?」「研究はどのように社会の役に立つのですか?」こうした質問に答える中で、自分自身も研究の意義や社会との関わりについて改めて考える機会になりました。また、Ponant社が科学活動を支援していることを高く評価している乗客がおられた一方で、そもそも船内で科学プログラムが実施されていることを知らなかったという方もおられました。科学活動を社会へ発信することの重要性と難しさの両方を感じる出来事でした。研究船では研究者同士の交流が中心ですが、客船では一般の方々と直接対話する機会があります。研究成果だけではなく、研究そのものの面白さや研究者の考え方を伝えることができる点は、客船ならではの魅力だと感じました。
客船は新しい研究プラットフォームになり得るか
今回の航海では、専用のラボや作業スペースがない客船での作業ということで、かなりの制約を覚悟していました。しかし実際に乗船してみると、船尾のボートデッキは海面へのアクセスが良く、サンプリングや濾過作業を行うのに十分なスペースを確保することができました。また、エアロゾルサンプラーを設置したデッキスペースには予想以上の余裕があり、将来的にはより本格的な観測機器の搭載も可能ではないかと感じました。さらに、研究者と乗組員、そして乗客とのコミュニケーションを調整するサイエンスコーディネーターが同乗しており、研究活動を円滑に進める上で大きな助けとなりました。もちろん研究船と比べれば制約はあります。しかし、広いデッキスペース、安定した電源設備、長期間にわたる連続航海など、客船ならではの利点も数多くあります。さらに、観測とアウトリーチを同時に実施できる点は研究船にはない特徴です。
長崎港での下船、そしてその先へ
2026年5月17日、船は長崎港に到着しました。最後のエアロゾルサンプルを回収し、観測機材の撤収作業を行った後、税関職員による確認のもとで機材やサンプルの照合作業を実施しました。無事にすべての機材とサンプルを陸揚げし、約10日間の調査を終えることができました。大阪から長崎までの航海で集めたサンプルは、現在研究室で解析を進めています。海水、海表面マイクロレイヤー、エアロゾルに含まれる微生物群集を比較することで、海から空へ移動する微生物の実態に迫りたいと考えています。今回の経験を通じて、客船を活用した海洋研究には研究船とは異なるユニークな可能性があることを実感しました。Ponant Science Programは、科学と社会をつなぐ新しい取り組みとして、今後さらに発展して欲しいと期待しています。


